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知念 悟
今回のブログは正直にお伝えすると、言葉の選び方などで傷つけてしまう可能性があると思い、ブログにしようかどうか迷いました。
ですが、明るくひたむきに頑張っているひとりの女の子の存在を知っていただきたいと思い伝えてみようと思います。
世の中では「弱い存在」とされるかもしれない1人の女の子のお話です。
視力の弱い女の子
僕が巡回指導しているこども園の中に、生まれ持って視力の弱い女の子がいます。
担当の先生の話によると、幼児期にして片目はうっすらにしか見えていないようです。
いま視力を保てている片方の視力が低下してしまえば、おそらく盲学校に通うことになると思われます。
保護者の方としては、他の子と同じような生活をできる限りして欲しいという思いから、こども園に通わせているようです。
そういった背景から先生方も、その女の子にすぐに手を貸すのではなく、できるだけその子自身にチェレンジしてもらいながら困ったときに手を差し出す。
長い目線で、その子のためになるような関わり方をされております。
僕はこの教育方針を、その子の人生を真剣に考えている、すごく愛のあるものだと思っています。
僕と行なう運動遊びでも、人数を制限したり、ルールを一部変更したりと接触のリスクを避けながら調整をしています。
現実問題、他の子よりもハンディキャップを抱えている状況のため、運動メニューには工夫が必要ですが、
「その子がいなければ、もっといい運動環境になっていたのか?」
僕はそうは思っていません。
実際にその女の子がいることで、鬼ごっこでもひとりひとりがその子にぶつからないように意識して走る様子が見られます。
運動能力でいうところの相手や物に対して自分がどこにいるのか、どれだけの距離にいるのかを正確に把握する「定位能力」が伸びやすい環境になっています。
その女の子がいることで、周りの子が
「〇〇、わかる?」
「〇〇、一緒に手を繋いでやろう!」
自然と助け合おうとする声かけのある、優しい世界が園の中を溢れています。
その子がいるおかげで、運動能力だけでなく協力することの大切さや自分の優しさを誰かに分けることで喜ばれる嬉しさといった、子どもたちの体も心も成長していく姿を僕は見ています。
・・・
少し話は変わり、ある日の運動遊びでの出来事です。
その日は、カエルの真似をしながらジャンプの練習をしていました。
その子がいるクラスは年長クラスのため、ジャンプの練習も少しだけ難易度を高くして子どもたちに取り組んでもらっていました。
具体的には、マーカーの上に置いてあるボールを前屈みの状態で手を地面につけ、ボールに当たらないように足をカエルのように飛び越えるというものです。
跳び箱で必要な手の動きや足を開く動作の習得をこの遊びから身につけてもらうことが狙いです。
すると、その女の子から「こわいー」と、なかなか手を前に置いてからジャンプすることができずにいました。
その子の立場になって考えると、ほぼ片目でしか見えていない世界で地面と顔との距離が近い状態でのジャンプはとても恐怖を感じる動作だったのだと思います。
そう感じて僕もその子に対して、「どうする?」と無理をさせない方向で聞いてみると、
「怖いけど、がんばる」
勇気を出して取り掛かろうとする姿がありました。
振り返って思い出してみると、僕はその子から
『見えないからやりたくない。』
この言葉をいっている姿をみたことがありません。
怖いという瞬間はあっても頑張り続け、終わったあとは決まっていっぱいいっぱいの笑顔でさよならー!と手を振って次の運動遊びを楽しみにしてくれます。
「見えないから、やらない。」と言えば、いろんなことが簡単に許されると思います。
ですが、その子は『見えないからやりたくない。』とは、言いません。
きっと、これまで保護者の方をはじめ、先生方、周りの子どもたちから「一緒にやってみない?」と手を差し伸ばしてきた優しい行動が積み重なって、何でも挑戦する心の強い子にしてくれたのだと思います。
僕自身、いつもその子の姿を見て、勇気を貰っています。
自分の周りの世界くらいは優しい世界で在れるように
今回の記事を書こうと思ったきっかけのひとつに、現在、僕は放課後等デイサービスに通う発達に支援の必要な子どもたちに運動遊びを教えています。
まだ3ヶ月の月日しか経っていないのですが、自分の頭の中ではなんとなくはわかっていましたが、改めて
誰かの手を借りることが必要な人もいる
ということを肌で感じています。
ありがたいことにサッカースクールや保育園やこども園での巡回指導、放課後等デイサービスへの巡回指導を通して、1ヶ月でも600人以上のたくさんの子どもたちに関わらせていただいています。
今回の女の子の件だけではなく、たくさんの優しい行動、思いやりのある言葉かけを子どもたち、先生方、保護者の皆さん、僕以外のスタッフから僕の目や耳を通して心に蓄積されています。
そんな様々な場面からもらった優しさを繋げれるように
優しさの連鎖を起こせるように
上手くいかない子に気づいて手を差し伸ばせられるような人でいれるように
サトルコーチやさとる先生としてだけではなく、1人の人間として一貫性がある自分自身でいるのか見つめ直す年末年始にしたいと思っています。
そして運動が好きな子だけではなく、運動が苦手な子や、発達に支援が必要な子にも「ちゃんと居場所を与えられる」そんな存在になれればと思います。
2022年は、自分の周りの世界くらいは優しい世界で在れるよう関わっていければと思います。
PS:最後にその女の子の話に戻りますが、先日行なった定期検診で他の人よりも聴覚が優れていることがわかったようです。
補うように神様がくれたプレゼントのように感じるその子の才能のカケラが花開き、似たような子に勇気を与えられる人になって欲しいなと思います。