サンビスカス沖縄/サッカースクール/運動あそび/障がい者スポーツ指導員
谷本 優希
谷本家のグループLINEがピロん♪と鳴ったら、それはだいたいにして広島にいる父母からのサイクリング報告である。
週末の休みになると、車に自転車を2台乗せて、呉やら尾道やらを訪れ、その付近を2人でサイクリングしているらしい。
「美味しいハンバーガー屋さんを見つけてしもうた」だの、「どこそこのコーヒーが最高なんじゃ~」だの、せっせと写真を撮っては送りつけてくる。
説明されてもどうせ分からぬが、せっかく送ってくれているからと(気を遣って)「へ~、どこのお店?」と尋ねてみたり、桜や紅葉が送られてくれば「呉のどの辺まで走ったの?」と返信を打ちますとも。(気を遣って。)
だのに!だのに、だ。
父ときたら、返信は決まって
「見て分からんものは、聞いてもわからん」
そんなことあるかいΣ(´ε`ノ)ノ
人に「聞いてよ聞いてよ~~」としっぽ振っておきながら、この塩対応である。
「いやいや、だってこの写真だけ見てわかるわけ・・」と嘆いたとて、どうせ「だってもへったくれもないわい」と返されるのみ。
いったい父はどういうつもりで送ってきているのだろうか(T . T)
・・・というのはさておき。
この「見て分からんものは、聞いてもわからん」って言葉は、谷本家語録なのでしょうか?
父以外に使っている人を見たことがない。言われたこともない。
「これとコレは何が違うの?」
「これってどうやって使うの?」
「これは何をしているの?」
だいたいハテナがつく会話は「見て分からんものは~」と一蹴りされるのが常であった。
自分が大人になり、子どもと接するようになると、「ああ。この言葉は便利だったのか」と、つい使いたくなるのもよくわかる。
「これなに?これなに?なにしてるの~?」を連発してくる甥っ子姪っ子へ、すでに何回使ったことか。
冗談混じりに使えるこの言葉は便利で使い勝手がいいが、時に「なんでわからんのじゃろうか・・」と本気で言いたくなることもある。
「言っても言っても何回言っても、分からんものは分からんのだろうか・・」と思い悩むことも多くなった。
「駐車場でボール蹴らないで」
「ここは人が通るところだから走っちゃダメだよ」
「低学年もいるから、強いシュートは打たないでね」
サッカースクールでもよくある光景。
「危ないからやらないで!」は、往々にして子どもたちにうまく伝わらない。
なぜなのだ。ちょっと考えたら分かるじゃないか。どう考えても危険じゃないか。
そう思ってしまうようなことを、子どもたちは平気で繰り返す。
ある時、あまりに何度言っても伝わらない子に
「ねぇ、何回も言っているのに、なんでわからない?どうしたらわかってくれるの?君にどうやったら伝わるのか、教えておくれよ」
と直接本人に嘆いたこともありました。
でも、当の本人は「???」とハテナを浮かべるばかりで、一向にどうにもなりませんでした。
伝え続けていくしかないのか。何度でも同じことを繰り返して言うしかないのか。
本当にそれでいつか伝わるのだろうか。
答えは出ないままに、しばらくサッカースクールが休校になり、マンツーマンでの運動指導をするようになりました。
子どもを車に乗せ、公園や自宅まで送迎することもあり、そこでおったまげることが起きた。
後ろの席に子どもを乗せて、楽しく会話しながら自宅へと送り届けようとしていたところ。
楽しさのあまりテンションの上がりきった子どもが、突然、シートベルトをカチャッと外した。
ん?と思う間も無く、運転している私の目を後ろから覆ってきたのである。
他の車がビュンビュン走る中、死ぬかと思った・・・終わったと思った・・・
覆われていた2・3秒が、表しようのないほどにどえらい長く感じた。
危険すぎるおふざけは、もちろんその場で強く強く叱ったけれど。
普段怒ることのない私が猛烈に怒鳴ったので、そのことにびっくりしてただただ泣くだけなのであった。
しかしまぁ、これだけ怒ればさすがに同じことはするまい。
保護者の方にも報告した上で、注意に注意を重ねてのまたある日。
今度は、駐車場に停めた車から降りる時、何を思ったのか無意味に、ボールを外へと投げ出したのである。
5・6個のボールがバラバラと駐車場に転がってゆく。
ちょうど進入してきた車に当たりそうになり、血の気が引いた。
「ねぇ、なんでなん??????やって良いことと悪いことがあるでしょう。危ないことくらい、わかるんじゃないの???」
炎を纏った私の様子に、ポカンっと首をかしげた後に、へらへらと笑って逃げようとした。
堪忍袋の尾が切れるというのを味わったのは、人生で初めてだったかもしれない。
これは決して2歳3歳の子の話ではありません。
真面目で優しくて、わりとしっかりしている小学生。
普段から会話が難しいと感じているわけでもなければ、特に困ったことをしでかすような子でもなかった。
でも、どうしてか、危険察知能力だけは足りていないと思うことしばしば。
思い返せば「危ないからやめてね」という言葉をしばしば口にしていた気がする。
これには本当に悩みました。
本人に悪気があまりなさそうだということも相まって、「なんでわかってくれないんだろう」と独り途方に暮れる日々。
「危ない」って、そんなに難しいことだろうか。
「こうしたらどうなるか、わかる?」と何度もやりとりを繰り返しました。
それでも大した変化を得られず。
毎回ちょこちょことヒヤリハットが起きていました。
わからんものは、わからんのだろうか。そういうもんなのだろうか。
見て分からんものは、聞いても分からん。
「危ない!」という瞬間を本人も見ているのに。
「危ないでしょ!」と何度も何度も聞いているはずなのに。
それでも、この子のことをこのまま見捨てるわけにはいかない。
「危ないので私には見切れません」と突き放すわけにはいかない。
なんとかして、この子を変えたい。
そんなある日、雨が降ったので、屋内で運動指導をする機会がありました。
普段よりもまったりと、のんびりした空気感が生み出せたので、「ちょっと休憩しようか」と言いながら紙とペンを取り出し
車の絵を書こう。と提案しました。
「え~?なんで~??」と言いながらも、色とりどりの車を描いてくれたので、それを綺麗に切り抜き、しばらく「競争だー!!」などとペラペラの車を走らせて遊びました。
そして、本題。
私の走らせていたペラペラ車をふらふらと蛇行させ
「あぁ!やばい!目がくらんで前が見えない~~!」
なんて言いながら、他の車にぶつかっていく様子を見せてみました。
ハッとした表情をした子ども。
「あぁ、これだったのか」と胸をなで下ろしました。
その後、駐車場に車をたくさん書いてもらい、「ボールがコロコロ転がってきたよ!避けて避けて!」などと絵を使って危なかった状況を再現してみたりもしました。
子どもの反応や息遣い、喋り方、今までのどんなやりとりよりも、「伝わった」という確信がありました。
「なんだ・・この子にわかってもらうには、絵だったのか」
と、あやうく涙がつたうところでした。
当たり前のように「イメージ」「想像」ができる大人とは違い、子どもはまだまだ本当に「わからない」ことが多い。
勝手に「わかるでしょ!!」と決めつけて、口だけで伝わると思っていた自分を恥じました。
「危ないから」という説明がどれほど分かりにくいものなのかが分かりました。
見て分からんものは聞いても分からん。しかし、描いてみたらわかるかもしれません。
子どもたちに絵を使って伝えるという方法は「絵本」なり「絵カード」なり身近にたくさん溢れているのに、なんで今まで気がつかなかったのだろう・・・
もっともっと、子どもたち一人ひとりと、こうやってじっくりわかり合っていきたいと思う。
それからというもの、子どもに「危ない」を伝える時には必ず、絵を描きながら一緒に「うわわわわ・・・これは危ないね!!」とやりとりするようにしています。
が、しかし。なんせ谷本画伯でして絵がアレなもんでして・・・
描いた絵を見て「これ何??」と聞かれることも少なくなくなくない。
「これ何って・・そんなもん、見て分からんものは、聞いても分からんわいヾ(゚ε゚*)ノ」