サンビスカス沖縄/サッカースクール/運動あそび/障がい者スポーツ指導員
谷本 優希
わたしの、高校入学2日目のおはなし。
ぴっかぴかの、セーラー服に身を包み。
ひっらひらのプリーツスカートをなびかせながら、自転車を漕いで登校した朝。
真新しい制服・真新しい登校バッグ・真新しいローファーに、真新しい自転車という、最高にキッラキラした私のイメージする頭の中、それはもう、雫ちゃんですよ。
カントリー・ロ~~ド♬なわけです。
上機嫌のまま、信号で止まる。
あぁ、なんて眩しい太陽。
目を細めて空を仰ぐ。
「素敵な高校生活を送れますように」
信号が青になり、再び漕ぎ出そうとしたその時。
天から何かが降ってきた・・・何かが。
まだ、2日目だというのに。
恐る恐る視線をやった右肩。
白い。
やられたっΣ(´д`*)
学校に到着するまで、地を這うような気分だった。
あんなにもペダルが重たく感じたのは後にも先にもないだろう。
なにがカントリー・ロ~~ドだ。
一生通ることのできないトラウマ・ロ~~ドだよっ!
学校に着いて担任の先生に報告したら
「運がついてるってことよ⭐︎体操服に着替えてきなさい。」
とあっさり言われた。
3本ラインの入ったセーラー服の大きな襟が、綺麗に整列するみんなの後ろ姿。
教室の一番後ろの席から眺めながら、1時間目を呆然と過ごした。
授業の先生にいじられて落ち込んだり、クラスメイトに「いいじゃん!体操服似合うんだから(^^)」と褒められて?複雑な気持ちになったりしながら、ようやく終えた1時間目の後。
移動教室のため、準備をしていた私に、担任の先生が声をかけてきた。
手には私のセーラー服を持っている。
「たにもとさん。洗って乾かしたから、着替えてきなさいね」
手渡してくれた制服は、ちょっと温かかった。
私が下を向いて過ごした1時間で、先生は手洗いをし、ドライヤーをかけて乾かし、なんとアイロンまで当ててくれていた。
私は担任の先生の優しさに胸がいっぱいになった。
鼻の奥がツーンとするのをこらえながら、制服を手にトイレへ駆け込んだ。
その後、2年生・3年生と学年が上がり、担任が変わってからも。
校舎で先生に会うたびに、心がちょっと晴れやかになった。
卒業のとき、私は先生に聞きました。
「あのときのこと、覚えてますか?」
・・と。
そしたら。
「もちろんですよ。あなたは、入学してきた最初の日。クラスでの自己紹介で、セーラー服が着れることをとってもとっても喜んでいたんですから。そんな子が次の日に、鳩の落とし物を拾っただなんて、それはそれは焦ったわよ。」
・・と。
そう言いながら、目尻にくしゃっとしわを寄せて微笑んでくれた先生は、とびきり優しくて、母親のような温もりがあって、今でも忘れることはありません。
私は中学生の時、けっして優秀なタイプではなく・・・
まじめだけど、成績はよくない。そんなタイプでした。
高校受験をするときに、そのままの成績では絶対に通らないだろう、と思われていた高校を志望しました。
理由は単純明快。
セーラー服が、どうしても、着たかった。
ただそれだけだったのですが、広島で一番可愛いと有名だったその学校のレトロなセーラー服は、女子生徒の憧れの的でした。
普段絶対にスカートなど履かなかった私ですが、なぜか、どうしても、どうしても、セーラー服だけは着たかった。笑
だから中学3年生の1年間は、毎日朝の3時に起きて受験勉強に励んでいました。
そんな強い想いとともに袖を通したセーラー服だったからこそ。
入学2日目の出来事はあまりにもショッキングだったし、そんなときに私を救ってくれた担任の先生のことは、ずっとずっと覚えています。
自己紹介の項目にあった「この高校を選んだ理由」という部分を、私はそんなに熱く語ったわけでもなかっただろうに、先生はその想いをとても大切に扱ってくれた。
40人もいたあのクラスの中で、40人が同じような自己紹介をしたあの中で、まさかそんな「セーラー服が着れて嬉しいです」なんて、さらっと言っただけの発言から。
私がどんな気持ちで登校してきたのかを汲み取って、丁寧に対応してくれた。
それは、ずっと心に残っていて、わたしの理想の大人像にもなっています。
スクール入会時に、こどもの持ってきた想い
新しい環境に入る時。
大なり小なり、それぞれに想いを持って入ってくる。
「初心にかえる」とよく言いますが、
私は「最初にその子にあった時」のことを定期的に振り返りながら、指導や接し方を見つめるようにしています。
たとえば、4年前になでしこスクールに入ってきた子が最初に話してくれたことは
「学校から帰ってきてもずっと家の中にいて。体を動かすことはあまり好きじゃない。運動はどちらかと言えば苦手な方。弟が入っているから自分も来てみたけど、不安。」
という気持ちでした。
運動に対して苦手意識を持っているその子が、(いつか、そんな気持ちを持っていたことを忘れるくらいに、運動を好きになってくれたら良いな。)と思いながら、4年間指導をしてきました。
だから、
「コーチ、3月末でやめることにしました」
と言われたとき、内心ドキッとしました。もう運動はいいかな、と思われちゃったんだろうか、と。
でも、続いてこんなことを伝えてくれました。
「学校で入っている部活に、もっともっと打ち込みたいから、いまスクールに来ている時間を部活でやっている種目の練習に当てたい。」
私はそれを聞いて、ほっと胸をなでおろしました。
もっと本格的に競技に打ち込みたい、だなんて。
それだけ運動に対する苦手意識を払拭することができたんだ、と安心しました。
そうか、それはもう、なでしこスクール卒業だね!と笑顔で見送ることができました。
また、6年間なでしこスクールに通い続け、ついに中学卒業を迎えた子は。
最初、全く自分に自信を持つことができない子でした。
筋肉の発達の関係で、速く走ることができず、周りの子が歩くのと同じくらいのスピードで走ることが精一杯でした。
だから競争をするような練習や、スピードが必要な場面が出てくると、トイレに行ったきり戻ってこれない。
きっと、不安で不安で仕方なかったと思います。
ある1人の子をターゲットにして、いじわるを繰り返したこともありました。
きっと、自分がいじわるをされないために、人を攻撃することで、自分を守ろうとしたんだと思います。
トイレに逃げなくても、自分を守ることに必死にならなくてもいいように、私はこの子になでしこスクールを引っ張ってもらう役割を全うしてもらいました。
今のなでしこスクールが、いつも穏やかで和やかで、優しさに溢れているのは、この子のおかげだと思っています。
「毎年、憂鬱だった運動会が、少し楽しみに感じらる」と聞いた時、「将来の夢を決めたから、高校受験がんばる」と聞いた時、あぁ、少し自分に自信を持てるようになったんだな、と。自分を信じることができるようになったんだな。と安心しました。
そして、スクール最後の日。
お母様が、こそっと近づいて来られて、目に涙を浮かべながら、
「最後まで娘を楽しませてやってほしい」
と言われました。
お世話になりましたと手渡された袋の中には、
「娘が唯一運動を楽しめる場所でした。ここが、娘にとっての居場所になっていたようです」
と、メッセージが入っていました。
私は指導記録をつけているノートに、いただいたメッセージを貼り付けながら、涙が溢れて止まりませんでした。
新しい環境に入る時。
大なり小なり、それぞれに想いを持って入ってくる。
わくわくしているにしても、不安に感じているにしても。
一人ひとりの持ってきたその最初の想いと、ファーストインプレッションから感じたことはずっと大切に取っておきたい。
入ってきた子の、ありのままの想いや現状を受け入れて、気持ちを組みながら丁寧に丁寧に接することが、徐々にそれぞれの居場所への、道しるべになるのではないか。
カントリー・ロード
この道 ずっとゆけば
あの子の居場所に つづいてる
気がする カントリーロード