from 宮城哲郎
サンビスカス沖縄のみんなへ
さて、早速だが暑い夏が続いている。笑
みんな夏バテはしてないだろうか?
突然、こんな事を言い出したので、きっとみんなの心の中は…
「哲郎さん、また何か企んでるな…(寒気)」
そんな空気が社内では漂っているかもしれない。
でも、安心してほしい。僕はいつでもアイディアを語る時は「突然」なのは今更話すこともないだろう?
ちなみに、どれぐらい突然かというと、、、小田和正の歌う「ラブストーリーは突然に…」ぐらいが、例えとしたら丁度良いのだろうか?
(※保護者の皆さんほとんどは僕と同世代だ。きっとわかると思うので、曲を知らないスタッフは、ぜひ会員さんに聞いてみてほしい。知らない人はいないはずだ。)
ま、そんなラブストーリー並みに、突然の報告として、みんなに伝えたいことがある。それは…。
サンビスカス沖縄の次の10年についてのことだ!!
サンビスカスのこれまでの10年
みんなも知っての通り、サンビスカス沖縄は2008年にクラブが誕生して10年以上の月日が経っている。
最初の活動は、僕の生まれた地元でもある「沖縄市」にあるアーケード街、パークアベニューを歩いているときに生まれた。
今はもうやってないんだけど、ずっとゲーセンの前で座っているサッカー着っぽい服を来た小学生に対して…(ゲームやらないで座ってるだけだったんだよ?笑)
「ね、小学校どこ?俺がサッカー教えるからサッカーしようよ!」
そういって、サッカーを教えに行ったのが全ての始まり。
その子らから小学校を聞いて、すぐに当時持ってた「携帯電話」で学校に電話して直談判。
「放課後、時間を持て余している子供達のために、空いてる場所を提供してくれませんか?僕がサッカー教えますので…。」
そう言って、特に部活動のような形でもなかったのだけど、、、週に1度の放課後にサッカーを教えることから始まった。
その後、見かねた当時の校長先生が、色々と間に入ってくれて地元の行政との事業に参画という形で「放課後こども教室」という名前になって、ちょっとした謝礼金も頂けるようになった。
後に、そこで集まった子供達が「もっとサッカーをやりたい」という事になったので、この学校にサッカー部ができる事になるのだけど、そうなったら僕の手だけでは責任が取れない。
放課後教室という形を終えて、彼らはサッカーチームとして自立をしていって僕の手を離れたわけだ。(もちろん、最初の数年は指導者もいないので、うちのスタッフの充幹コーチがボランティアで指導をしてたよ)
さて、そうなるとクラブとしても本格的に事業を作らないとクラブは潰れてしまう。笑
そこで、この経験を活かしてサッカー教室を作ったのだが、これまたゼロからのスタートだ。
今では、偉そうに「地域スポーツビジネスの先生」なんていう仕事もやってるけど、当時は経営とか、そんなのも全然知らないわけで。本当にヤバイ。
どれぐらいヤバかったというと、PCを開いてチラシを1枚作るのに6時間以上もかかる始末。しかも、Wordで。笑
この時の年齢が29歳。世間一般では速い人で管理職を任される人材もいたので、完全に負け組確定の男だ。
実際に言われたよ?
「スポーツで飯なんて食えるの?辞めとけよ。誰のためにもならないから。」
なんてことをね。
そんな事を言ってた人達には感謝している。だって、それを見返したいと思って余計に力が出たもんだからさ。きっと、今があるのはこうした人達のおかげだと本当に思っている。
で、そこからはみんなもよく知っている通りで。
サッカー教室から始まり、保育園や幼稚園の体育のサポートをしたり、シニア世代向けの健康教室、親子教室、スポーツ大会に、イベント、PTA行事のサポート、講演会、キャリア支援・・・etc
本当に、本当にたくさんの事を、たくさんの仲間と一緒にやってきたんだ。
この10年間でどれだけの人達に「スポーツ」という手段を通じて出会ってきたのだろうか?実のところ、もう数えることすらできない。(延べ20万人から数えるのを辞めたよ。笑)
それぐらい必死だったし、とにかく自分たちのできることでもある「スポーツを伝える」という得意技を活かして、色々やってきたつもりだ。そして、その根っこにあったのは…
「スポーツでどんな地域や社会の課題を解決するのか?」
もう、本当にそこだけ。
うちの事業は、常に自分たちができることで「地域や社会の課題を解決するのか?」これがビジネスモデルになっている。
自分達にとってもやりがいがあって、それが誰かの役に立っている…。
そうした状況になるように、この10年、ただただ突っ走ってきたつもりだ。
もちろん自分一人でやってきたなんて思ってもいない。
みんなの様なスタッフの存在。現在は辞めてしまったけど、過去にサンビスカスとして活動してくれた人達の存在。これまで多くの会員さんにも助けられたし、地域の人達にも助けてもらった。
ありがたい事に、平成最後の年には沖縄県の「沖縄県生涯スポーツ優良団体」に選出してもらった。これを県に推薦してくれたのは、地元沖縄市だ。
なんか、今までやって来たことが認められたような気がしたし、そうした事がきっかけで国外からメディアの取材も受けるようになった。
変な話だけど、いつしか、今までよりも「効率よく」会社を回せている状況になっていた。だって、みんな凄く優秀だし、ミーティングを開催すればバンバンそこで課題が解決されていくからね。
本当に頼もしいし、周りの人達にも「サンビスカスのスタッフさん、素晴らしい人ばかりですね?」なんて声をかけられるのも当然になっていた。
もちろん僕を含めてミスをしたりもする。でも、そうした事がさらに会社の推進力になっていっている。すなわち、良い運営体制ができている感じがしてきたわけだ。
そのおかげで、僕には今までよりも少しだけ時間ができるようになったのだけど、人間って不思議だ。時間があると、物思いにふけてしまう…。
「これまで一生懸命やってきた。でも、自分自身が真にやりたい事って結局なんだったんだろう?」
「最初は、単に誰かの役に立ちたかっただけだ。でも、その後は?どうする?」
そうした事を悩むようになってたんだよね?
誰だって、最初は必死だ。必死で、技術を伸ばしていく。
すると、いつの間にか出来なかった事が、今までよりも楽にできるようになる。
この事を、人は「成長」という風に言ってくれるのだけど、でも、なんか違和感が出てきたわけだ。
「俺が心からやりたい事って、なんだ、、、?」てね。
そんな時に出会った言葉がある。
それは「SDGs」という言葉だ。
SDGs
SDGs(エスディージーズ)とは、
Sustainability :サステナビリティ
Development:開発
Goals:目標
という英語の頭文字をとった略称なんだけど、「持続可能な開発目標」と訳する。
このSDGsとは、2015年9月の国連サミットで採択されたもので、国連加盟193ヶ国が、2030年までに達成する為に掲げた目標だ。
詳しくは外務省のHPに乗っている以下のリンクをご覧になって欲しいのだけど、(外務省HP → SDGs )このSDGsの理念に、僕は心底惚れた。
その理念を簡単に言うと、こうだ。
「誰一人取り残さない」
この理念に、僕は本当に震えた。
まず、何に震えたかというと、国連という世界のトップが集まる会議で、このSDGsというものに対して全会一致で決まったことだ。
だって、今の世の中は争いで溢れているだろう?
現在、僕らが住む日本は幸いにも戦争は起こっていない。
でも、世界のどこかに行けば、必ず同じ人間同士で争っているのは承知のはず。
戦争だけではない。貧困や人権、環境、労働、ジェンダー、経済、健康・・・とにかくあげたらキリがないほど、この世の中は様々な問題を抱えているんだよね。
なので、地球規模の「決め事」をしようと考えたら、中々、意見はまとまらない。
例えば、東の国が賛同したら、西の国が反対し、先進国が賛成をしたら、発展途上国と呼ばれる国々が反対をする。そんなことが起こるからだ。
それにも関わらず、「SDGs」という物に対しては別だった。参加している各国すべてが、SDGsの理念に賛同し、そこに向かっていこうという事に決まったんだ。(確か、過去にも全会一致の事案はなかったんじゃないかな?これって、本当に凄いことだと思わない?)
で、僕は、そのSDGsを、「スポーツ」という手段を用いて出来ないか?と考えるようになっていったわけだ。
スポーツを活用して「持続可能な世界」を作る。
社会の様々な課題に対して、僕らは「スポーツ」という手段を通じて取り組む。
でも僕は気がついたんだ。(もしかしたら君も、あれ?と思ったかな?)
実はこれ、サンビスカス沖縄がこれまでの10年間で、やってきた事でもあったんだよね。
今までは、ただひたすら…。
自分達にとってもやりがいがあって、それが誰かの役に立っている…。
そこを目指して走ってきた。
でも、そこに明確な「旗(ゴール)」ができたわけだ。
これに震えず、何に震えるのだろう?笑
「社会で起こる様々な課題に対して、サンビスカス沖縄がスポーツという手段を通じて解決に取り組む」
というわかりやすい企業目標が生まれたわけだね。
たった1度の人生だからこそ…
僕らの人生はたった1度だ。
たった1度の人生をどう過ごすか?
これって、仕事がどうこう以上に、凄く重要な要素だと思わない?
僕は今まで、「超」がつくほどのサッカー人間だった。
自分では精一杯努力してきたつもりだけど、残念ながら「サッカー」という手段で最も欲しい夢でもある「日本代表としてW杯優勝」という夢は叶わなかった。
でも、そんな経験の中で「サンビスカス沖縄」というクラブを立ち上げ、自分のこれまでの経験を通じて、ただひたすら「誰かの役に立ちたい」という一心でやってきた結果、徐々に、自分の「在りたい物」が生まれてきた。
そして、みんなと一緒に過ごす日々の中で「一人では叶わないけど、みんなと一緒にやれば叶う」そんな夢や目標めいたものを、形にしてみた。
それが、みんなにも話をした「サンケアーズ」というものだ。
サンケアーズとは?
サンケアーズとは、サンビスカス沖縄の地域貢献活動(CSR活動)を、より発展させるための組織体で、もちろんSDGsに向けて掲げたミッションを達成することが目的。(サンケアーズのウェブサイトはこちら)
ここでいう発展というのは影響力だったり、活動範囲だったりするんだけど。
これまでの10年は、僕らサンビスカス沖縄に関わる人たちで地域の課題解決をしてきたけど、それをより多くの人を巻き込みながら、同じようにSDGsの理念に賛同してくれる企業や団体、個人を集め、ひとつの大きなコミュニティーをつくりたい。
そうして、そのサンケアーズというコミュニティーが、僕らの住む社会や、子供たちの未来をよりよくしていく。
そんな活動をみんなで一緒に取り組めたら、どんなに素敵なことだろう?
だから、ここからの10年はみんなも一緒に、スポーツでバンバン地域の課題を解決していこう。もちろん、今までとなんら変わることはない。
でも、その影響力や活動範囲はきっとずっと、大きくなっていくよ。
スポーツの力で、世の中の社会課題が解決できることを、僕は「サンビスカス」で証明したいからね。
・・・どうだろう?
そんなサンビスカスにいるあなたなら、きっとワクワクしているんじゃないかな?
と、いうわけで、今後はこのサンケアーズの活動もバンバン動いて行ってもらうと思うので、ギアを上げて今後も頑張っていこう!
きっと、僕らサンビスカスの活動が、今の子供たちの未来を、もっとより良くできるはずだから。
もちろん、僕ららしく、楽しみながら・・・ね?
それでは、また。
サンビスカス沖縄代表 宮城哲郎