優しさパスは無限に回る

サンビスカス沖縄/サッカースクール/運動あそび/障がい者スポーツ指導員

谷本 優希

 

小学生の頃。

 

両親はよくわたしに、花柄やリボンのついたフリフリ服を買ってくれた。

 

アリスになれそうな、白雪姫になれそうな、そんな感じの。

 

だけどほんとうは、ほんとうはね・・・・

 

クリストファー・ロビンがよかった。

 

爽やか少年みたいな服が好みだった。

 

言えなかったけど。

 

 

きっと、私のためを想って買ってくれてる。

これは、両親の優しさだ、と受け止めて、「ありがとう。」と買ってもらった。

 

小学校から中学校に上がる時。

 

どこのチームに入るか、ずいぶん悩んだ。

 

中学生になったら、男子の中に混ざっているわけにはいかず、女子チームを探すことになった。

 

父があちこちリサーチしてきて、たくさんの選択肢を与えてくれた。

 

いくつものチームで体験をして、「ユキちゃんが良いと思ったところでいいよ」と選ばせてくれた。

 

だけどほんとうは、ほんとうはね・・・・

 

どこのチームにも入りたくなかった。

中学でサッカーを続けようと思ってなかった。

 

言えなかったけど。

 

きっと、私のためを想って探してくれてる。

これは、父の優しさだ、と受け止めて、「一番強いチームにするよ。」と入会を決めた。

 

高校受験の勉強をしていたとき。

 

だいぶ背伸びした高校に行きたいと志望したわたしは、毎朝3時に起きて勉強した。

 

母は、頼んでもいないのに、毎朝3時にココアを用意してくれた。

 

受験が近づいていたある日、どんなに頑張ってもさっぱりわかるようにならない英語に、わたしはついにポロポロと泣いた。

 

母は、「ゆきちゃんは大丈夫、こんなに頑張っているんだから、大丈夫」と抱きしめてくれた。

 

だけどほんとうは、ほんとうはね・・・・

 

大丈夫なわけないよ!

どんなに頑張ったって、こんなんじゃ無理だよ!

って、母の手を跳ね除けたかった。

 

できなかったけど。

 

きっと、私のためを想って安心させようとしてくれてる。

これは、母の優しさだ、と受け止めて、「お母さんが言うなら大丈夫かも」と甘えて泣いた。

 

 

わたしは、両親から数え切れないほどの優しさを受け取ってきた。

 

その優しさに、たとえ、納得がいかなくても、

たとえ、本心と違うことになってしまったとしても、

 

与えてくれる優しさを踏みにじらないように、

決してむやみに跳ね返すことなく、受け取るようにして生きてきた。

 

両親にかぎった話ではない。

 

関わる人みんなに対して、そうやってなんでもかんでも受け入れて生きてきた。

 

ただ問題は、それを良いことだとは思っていなかったこと。

 

人に強く言い返せないから、ほんとうはこうしたいんだ!と訴えられないから

 

しょうがなく、「きっとこれは相手の優しさだ。優しさは受け取っておこう」と自分に折り合いをつけていたに過ぎない。

 

言われるがまま、歯向かうことなく生きる人生は、ラクといえばラクである。

 

でも、その代償に、大人になってからは辛く思うことも増えた。

 

「大人しい」「もっと自己主張しないとダメだよ」「言いたいことあるなら言えよ」と、多方面からパンチ喰らうようになったから。

 

大人しい人というのは、人から「大人しい」と言われると傷つく。

 

私は「大人しい」と言われ続けて、幾度となく傷ついてきて、そんな自分を心の底から好きになんてなれなかった。

 

言いたいことも言えないただの気弱なダメ人間だと、そう諦めていた節がある。

 

でも。

 

そんな漆黒な私の心に、光をくれた言葉があります。

 

それは

 

「優しさを受け取ることも、優しさ」

 

という言葉。

 

私の好きな作家さんが、ブログの中で使っていた言葉です。

 

優しさを受け取ることも、優しさ・・???

 

・・・・・ということは。。。

 

ただ、「ちがう」と言えないから、「そうじゃない」と言えないから、与えられるがままに受け取り続けてきたモノは

 

自分が気弱だからとかじゃなくて

自分が主張できないダメ人間だからとかじゃなくて

 

私が、優しさを受け取ることのできる優しい人間だから、ということ・・・?

 

人からの優しさを、わたしの優しさで受け止めてきたってこと・・・?

 

え・・・? なに・・? わたしって、優しいの・・・・??!!

 

そのことに気付いたとき、私の目に映る景色は、全てがワントーン明るくなった気がしました。

 

そうか、自分って人より少し、優しさを多く持ち合わせた人間なのか。

 

そう思えた私は、私のことを前より好きになれたかもしれない。

 

作家さんの使ったその言葉が、このような捉え方で合っているのかはわからないけど。

言葉の受け取り方は自分次第だから、間違ってはいないだろう。

 

もしも私が、人より少し、優しさを多めに持っているというのなら。

 

それは優しさを受け取るためだけに使っていてはもったいない。

 

もっと人に、優しさを配りに行こう。

 

優しさって、パス回しらしい。

 

優しさパスを受け取った人は、次の誰かに優しさパスを回す。

そしてそれを受け取った誰かは、また誰かに優しさパスを回す。

優しさって、そういうものらしい。

 

私は、両親からたくさんたくさん、優しさパスを受け取ってきた。

もともと私の持っている優しさでその両親からの優しさを受け取ってきたので、きっともう優しさ掛け算がものすごい回数を重ねて、膨大な数になっている。

 

パンクしないうちに、はやく優しさパス回さなきゃっ!

 

サンビスカスの子どもたち、受け取ってね。

いっぱいいっぱい配るからさ、受け取ってね。

 

そして、私の知らないところでまた、子どもたちが優しさパスを回してくれたら本望である。

 

今回、何度も何度も「優しさ」という文字を打ち込みながら、ああそうか、と思ったことがある。

 

これはどうしても伝えたい。

 

お父さんお母さん、「優希」という名前をくれて、ありがとう。

 

 

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